【幸せの羅針盤】1

僕が32歳の時、平成七年に阪神淡路の大震災の復興活動に参加しました。
生まれて初めて大震災の現場に行ったんです。
その時に、僕はとても大切な事に気がついたんです。
それは、幸せになる秘訣。
僕は、それまで大きな勘違いをしていました。
幸せは、物の豊かさで決まる…と。
でも、それはまったく違っていました。
 
被災した現場では、電気、水道、ガスは使えない。
壊れた自分の家の柱を燃やしてご飯を炊いている。
氷点下の露天で身を寄せ合って野宿したり、公民館で避難生活。
給水車に水を求める老若男女の長蛇の行列。
カレーパンとカップ麺が主食で、時々豚汁の日々。
そんな不自由な生活は、きっと不幸に違いない。
僕はテレビで見る映像から、被災者はみんな可哀相だと思っていました。
でも、実際は違ったんです。

たしかに被災された方たちは想像を絶するほど辛い経験をしていました。
家を失った人。
家族を亡くした人。
仕事ができなくなった人。
財産や品物を失った人。
本当に不自由で辛かったと思う。
でも、被災者は大変な状況でしたが、決して不幸ではなかった。
不自由な生活と不幸な生活は同じじゃなかったんです。

小さなおにぎりを幸せそうに頬張っている。
一杯の温かいお茶を大切そうに飲んでいる。
わずかなお菓子をみんなで分け合っている。
老人の世話を喜んでする若者たち。
被災地に笑顔と思いやりの言葉が飛び交っていました。
神戸の街の人は、大地震でみんなが優しくなった。
不自由になって、どんどんみんなが優しくなった。
平成七年は、日本のボランティア元年と言われます。
大震災が、人々に本当に大切な何かを教えてくれたみたいです。

現地で出会った奥さんの言葉が、いまでも忘れられません。
「私は、地震が起こる前までは不幸でした。
不満だらけの毎日でストレスがいっぱい。
でも、地震のあと、とても幸せになりました。
だって、本当の幸せに気づいたから。」
と、目を輝かせながらいわれたのです。
私は、最初その言葉の意味が分かりませんでした。
しかし、その言葉の本当の意味が分かった時、ショックを受けました。

不自由な生活しながらも、喜びを感じて生きている。
どんなに物に恵まれた生活でも、喜べない人がたくさんいる。
大切なのは、形ではなく心の中の喜びの大きさなのだと。
蛇口をひねると水が出る喜び。
スイッチを押せば電気がつく喜び。
コックをひねるとガスが灯る喜び。
温かいお風呂にゆっくりと入れる喜び。
静かにくつろぐ自分の部屋がある喜び。
どこでも車で自由に行ける喜び。
毎日、精一杯仕事ができる喜び。
夜、安心して疲れた体を布団に横たえる喜び。

みんな当り前のことばかり。
だけど、その当り前のことが、とっても大切なこと。
それに気づかない人は、いつまでたっても幸せになれない。
無くなって初めて分かる有り難さ。
幸せって、実はそういうことだったのです