1885年(明治18年)のこの日、日布移民条約によるハワイへの移民第一号の船が横浜港を出航した。
ハワイにおける移民は、急増するサトウキビ畑や製糖工場で働く労働者を確保するため、1830年頃より始められた。ポルトガル人、ノルウェー人などがハワイに導入されたが、地理的に近くてコストも安かったためアジアからの移民が好まれ、日本人、中国人、フィリピン人(米国に併合されてから)が急増した。
天草からハワイへ移住した人たち
天草からハワイへの移民の歴史については、個人名が「第一号」として歴史の表舞台に刻まれているケースは稀ですが、集団としての**「公式な始まり」**ははっきりしています。
天草(および熊本県)からのハワイ移民が本格的に始まったのは、**1885年(明治18年)**のことです。
天草・熊本からのハワイ移民の始まり
- 第2回官約移民(1885年):日本政府がハワイ王国と結んだ条約に基づく「官約移民」の第2回船(シティ・オブ・ペキン号)が1885年6月にハワイに到着しました。この時、熊本県から初めて478名(諸説あり)が海を渡りましたが、その中に多くの天草出身者が含まれていました。
- 背景:当時の天草は人口密度が高く、生活が困窮していたため、新天地を求めて海外へ渡る意欲が非常に高い地域でした。この1885年を境に、天草は「移民の島」としての道を歩み始めます。
今日の曲(SMAP・世界に一つだけの花)
今日の名言

我々の性格は、我々の行動の結果なり
アリストテレス(ギリシャの哲学者)
人の性格は、偶然作られるものではありません。
特に、毎日繰り返される行動の結果が、その人の性格を形成していきます。
例えば、毎日「ありがとうございます。」ということを習慣にしている人は、謙虚な性格になります。
逆に、毎日人の悪口ばかりいう人は、人を蔑む性格になります。
