豊田市制作「鈴木正三物語」

鈴木三公像

天草の人にとって、鈴木重成公は天草島原の一揆後、天草を復興した名代官でしたが、愛知県の豊田市ではむしろ兄の鈴木正三公の方が有名です。天草の奇跡の復興は、行政面では鈴木重成公が行いましたが、精神面では禅僧の正三公に負うところが大きく、天草中に浄土宗と曹洞宗の寺院を建立しました。
鈴木正三公は、42歳まで徳川家に仕える旗本でしたが、突然剃髪して出家した珍しい禅僧です。
特定の宗派にこだわることなく、本当の人の幸せとは何かを追求して、天草の人たちにそれを伝えて、多くの人たちが救われました。以下は、豊田市教育委員会が制作した「鈴木正三公のビデオ」です。天草の歴史を知るうえで、ぜひご覧ください。

鈴木正三の実像(豊田市教育委員会HPより)

<業績>
 正三は,徳川氏の家臣であったが,42歳のときに出家して僧侶となった。武士であった頃から,独自の考えを書物にまとめた。代表作の一つである「万民徳用」は,仮名書きのやさしい和文で,「人々の心のもち方が自由になり,人々が心の世界の中で,自由に振る舞うことができるようになるためならば,南無阿弥陀仏と念仏を唱えるのもよし,座禅をしてみるのもよし,さらには,そんなことは何もしなくても,毎日,自分に与えられたそれぞれの仕事に,精一杯打ち込んで働いていけば,それが,人間として完成していくことになる」と,民衆の日常に目を向け,宗教,禅,念仏にとらわれずに,世俗的な職業に励むこと自体が,仏教修行であると説いた。このことから正三は,職業倫理を日本で初めて説いた禅僧だと言われている。正三は,この考えを広く民衆に広めるため,各地の寺の整備にも努めた。


<年譜>
1579年(天正 7) 三河国豊田市則定町に生まれる
1595年(文禄 4) 仏道に志す
1620年(元和 6) 江戸で出家する
1623年(元和 9) 千鳥山(豊田市)で修行する
1631年(寛永 8) 医王寺を修復再建する
1632年(寛永 9) 恩真寺を開く
1638年~    天草を訪れ、仏教を再興する
1655年(明暦 1) 76歳で没
鈴木正三公の年表

令和3年鈴木重成公代官就任380年を記念して

2021年、鈴木重成公が天草に代官として赴任されて380年の年月が経ちました。
それを記念して、みつばちラジオで放送された「鈴木重成伝」という物語があります。
これまで明かされなかった秘話が明らかになり、いかに鈴木三公が天草の民のために命がけで復興に尽くされたかが分かります。
豊田市教育委員会が制作したアニメよりさらに詳しく鈴木三公の生きざまが分かりますので、よろしければご視聴ください。