天草のお遍路巡り

遍照院

大津からも4名が参加

6月17日~18日にわたり、天草八十八ヶ所霊場巡りに大津町はじめ熊本市内の方が4名の方が、天草島内からは3名、合計7名の方が参加されました。案内役は、天草方言集の大家・鶴田功さんが、先達でした。先達とは、お遍路の案内役のことで、霊場のいわれやお参りの作法など親しく丁寧に教えてくださる役割の方です。
先達さんがいると、霊場では快く本堂で迎えてくださり、中には庫裏でご住職とご一緒にお茶を飲みながらお説教や談話もしてくださいます。

今回巡ったコースは、17日は上島の北海岸を中心にした11ヶ所の霊場で、18日は上天草市の湯島を含む11ヶ所の霊場でした。

大津からの巡拝者、坂本成子さん(73歳)は、いまから7年前から天草遍路をはじめ現在5巡目となります。
坂本さんは、四国遍路は親の代から巡拝していた家系でしたが、天草遍路があると熊日の記事で知って熱心に巡拝をはじめました。
天草遍路の最大の特徴は、御所浦や湯島の船での巡拝があることで、四国にはない景色がそこにあります。また、天草遍路のテーマは「お願い」ではなく「感謝」で、これまでの御仏やご先祖様、ありとあらゆるご縁に対する感謝を通して仏心を養うのが特徴です。
さらに、下島の西海岸の巡拝では、世界遺産になる前から、崎津の霊場・普応軒を巡る時に、近くの崎津教会や崎津神社を巡り、宗教融和の遍路も天草ならではのものです。
他にはない、天草遍路の魅力に取りつかれているファンも多く、特に京都の真言宗大本山東寺の巡拝者御一行は、天領だった天草には京都よりも大きな大寺院がいくつもあることに驚いておられます。

大光寺(有明町大島子)

天草遍路の由来

天草八十八ヶ所霊場巡りは、江戸時代からあったお遍路です。
当時は、四国遍路には行けない人たちが、天草島内の寺院の裏山に八十八霊場に見立てた石仏を作って地域の人たちが巡ったりしていました。
有名なのは、教良木の金性寺で、庄屋さんがご子息の病気平癒のために四国霊場を巡拝し、各霊場のお砂を持ち帰って、金性寺の周りにミニの四国八十八ケ所霊場を作って、天草中からお参りに来ていました。
当時、栖本と金性寺の間には、上島の動脈といわれる天草街道があり、多くの人たちが往来していて、教良木は文化と経済の拠点として栄えていました。
その後、明治末期になると、大矢野島、上島、下島の浄土宗と曹洞宗の寺院と、地域のお堂中心に、天草周遊をする大規模な天草八十八ヶ所霊場巡りができました。
それが、天草五橋が開通するまで続いていましたが、その後橋が掛かって天草が離島ではなくなってから、次第に天草八十八ヶ所霊場巡りはすたれていきました。

2014年に復興した天草遍路

今から8年前平成16年(2014年)5月10日に、京都の真言宗総本山教王護国寺東寺の松崎全信僧正をお迎えして、天草八十八ヶ所霊場復興記念行事が執り行われました。

天草八十八ヶ所霊場復興記念巡拝

そもそも天草八十八ヶ所霊場巡りを復興した理由は、四国遍路に年間20万人の人たちが巡拝するので、その1割でも天草遍路の巡拝する人が増えれば地域が潤う町おこしになると、曹洞宗と浄土宗と真言宗、浄土真宗と各お堂の管理者のご理解とご協力によってできたものです。
天草の人たちのお大師様信仰は深く、現在でも多くの人たちがお遍路に関心をもっておられます。
日本の文化、天草の文化の根底にはお遍路さんの「お陰様で有難うございます」という精神があります。
のさりの島の古き良き文化として、これからも継承されることを望みます。